今さらどんなツラしてブログ書けばいゝのか!
両親の前ではぶっきらぼうである。反抗期の習慣が未だ抜けきらず、両親と会話するときはどうも3〜4文字で会話しがちだ。情けない話なんだが、、。
3〜4文字ボソボソぶっきらぼう青年。これが家庭内における俺のポーズである。
同世代の女の子と二人きりで食事するとき、内心いろいろ気が気でない。テーブルマナーを誤ったかどうか、現在の俺の姿態は童貞然としていまいか、etc...
それでも涼しい顔と「どしたん話聞こか」的悠然的振る舞いをなんとか保とうと気を張るが、つい気が気でなく料理店の天井の隅や窓のそとに目をやって呆然とする時もある。
これが女性に対する俺のポーズ。
さてここで俺はついに息苦しさに耐えかねてトイレに駆け込む。個室トイレでまずはため息を大きくついてからTwitterを開く。「コミュ障ワイ、デート中に〜〜で死亡確定わろた」投稿。
これも一つのポーズで、Twitter人格というもの。
高校生のとき、俺は始業30分前に教室へ来て寝る。15時30分になると担任に
「帰りの会終わったぞ」
と起こされ、ボヤボヤ帰路につく。クラスでのキャラクターは「いつも寝てる」である。
このようにいろいろなポーズ=人格(キャラクター)シーンによって使い分けるのが多層心理を生きる我らが人類。
シーンに応じて過去の自分の人格の中からふさわしい要素をいくつか選択し、馴染むことで、それがそのシーンにおける「私」になっていく。馴染みすぎると、いまさらカッコよくなんてなれない。
さてここで困ったのが、ブログを書いたことなんてなかったので、ポーズのとりかたにとまどってしまうことだ。ブッ飛んだ記事を書いている先輩諸氏は、まさか普段そんなふうに暮らしていまい。いつどこで、ブッ飛んだのか、知りたい。
「民族舞踊 性欲」→検索結果なし
ふと思いたって。「民族舞踊 性欲」→検索結果なし。
この間、ひと足先に就職して地方へ転勤した元同級生が、有給で東京へ帰ってきた。会って何をするでもなく、一人地方に放り込まれていた彼が言うには「とにかく東京を感じたい」とのこと。それ即ち江戸を感じることだろうと、文京区〜中央区の界隈を練り歩いた。
浅草近辺、商店街の店のどれかから、濁音のラジオで民謡がきこえてきた。その音楽と川沿いの屋形船のムードに浸った俺の妄想の順序は、いまとなっては一つ一つここで思い出せない。
ともかく俺は妄想の末、その高校生なみの着想を彼に話した。
「俺、民族舞踊みると性欲湧くんだよ」
これだけ脈絡がなくても、会話が成立するほどには長い付き合いである。
「わかる、民族舞踊は性欲わく」
え!?やっぱお前も????
梅雨期の厚い雲間から、にわかに日射しが覗き、爽やかな風が俺たちをとりまいた。。。
少なすぎるサンプルではあるが、その時俺は、民族舞踊を鑑賞するとムラムラする現象について、単に俺の性的趣向にのみよるものではないと確信した。
この現象が市民権をもった概念かどうか確かめるため、さっき、「民族舞踊 性欲」と検索した。ちなみにいま俺は就活中の大学5年生である。
関連する検索結果は、ゼロ。そんなことはないと思うのだが、、^^;
日本舞踊に限っていってるわけじゃない。ロシアのフットワーク鮮やかなダンスとか、アフリカ大陸の民族ダンスについても同様、なんかこみ上げてくるもの、ないですか?
今でこそLGBTだとか、男女格差撤廃云々の世の中で、ファッション動向もきっと関係あり「男と女」を感じにくい。そんな中で、民族舞踊はどの国のどの地域のものにしても、「男と女」という1対のモチーフの表現がかなり巧みである。男はそれぞれの文化観に沿ってカッコつけ、女も同様に着飾りしなやかな線を意識させる。
だいたい民族舞踊って、男女互いに異性を惹きつけるための人類の知恵じゃなかったのか?使われるシーンだってそうでしょ。
共感してくれる人がいると信じ、またテーマの馬鹿馬鹿しさに虚しさを感じつつ、我この記事を今以て終える。
はじめての投稿と現実の直視
とにかく人と関わりたい。リアルなコミュニティ以外で。
私は現在大学を留年し、就活中の大学生である。内定はない。去年から大体のことに行き詰まり、将来への不安がかなり深刻な今日この頃、ネットサーフィンで様々なブログを読んで慰められている。
ツイッターしかしてなかったもので、こうして長文を書くとなるとどうすれば良いかわからなくなってしまうのだが、ネット上でとにかく人と繋がりたい一心で記事を投稿してみることにした。もしも今後、記事が積み重なっていくようであれば、多分この記事はそのうちに消すんだろう。
まずは今日のことから。
9時20分起床。10時半からだと思っていたオンライン面接に備えるべく起き上がってスマホをいじり出すも、勘違いで本当は9時半からだったと知る。がっかりするも、半ば諦めて開きなおってバックれ、再び寝る。
14時また起床、すっきり。課題をする。
やめた、直視してられない。明日はまたまた会社説明会である。今日はもう寝るとする。
明日はちゃんと起きてよね。