オクラ・ししとう

夜中に考えるああでもないこうでもないを貴方に❤️

2023/2/7 徒然

2023/2/7

何を書こうか。何を書けばいいのかわからない。自分は今日どうすればいいのか。19時からバイト、「ご案内 (俺)くん」と書いてある。ご案内はやったことがない。間違いなのか、今日教わるのか、ちょっと不安だ。資格試験の勉強を数日前からしようと思っていたが、何もせずじまいなままだ。ここまで書いて気持ち良かったが、ここから何を書けばいいのだろう。これからバイトへ行くまでやった方がいいのか。書いていて不安になり、緊張している自分がいる。こうなったらいけるとこまで書いてしまえ。Mから急にメッセージがくる。思いがけず大手に内定したあいつからのメッセージはどこか俺の日常を脅かす。資格試験の勉強をしなきゃいけないと焦ってる。この気持ち、この感じ、どう処理していこうか。そう、俺の頭の中は、いかにして勉強をこなすかではなく、めんどくさいなあ、重たいなあ、やってみてうまくいかないと嫌だなあという感情で埋まっている。本当はそうだ。ここまできて資格の勉強すらしない自分を許したくないと思ってる。これまでの挫折をそれによって取り戻そう、ゼロに近づけようという気持ちがある。そうじゃないとすれば、仕事についていくのに、基礎知識が助けになること、資格補助が多分あることなんかが他の理由になるのかな、でもそれはきっとマイナスの理由に打ち勝つほどのものにはなっていないんだろう。書いていてどこか胸が痛い感じががする。どうすればいいのか。

でも自分の輪の外から思いがけない喜びに出会えるかもしれない。そのことを信じてみたい。愚直にできそうなことをやってみたい気持ちもある。そうすればどこかから喜びが降ってきたり湧いてきたりするような予感についていってみたい気持ちがある。本当に俺はどうしていればいいのか、どうすれば許せるのか。自分は自分で許さなきゃいけないんだろう。どうするかも自分で決めてえいやっとやるしかないのだろう。そのことを自分自身で認めなきゃいけないんだろう。これでいったん終わりにしとこう。

ゴキブリと不安と苦しみ

ゴキブリは気持ち悪い。これは真理であり、我々はゴキブリをみつけたら悲鳴をあげ、もし女子ならば、となりの男子の腕につかまらなければならない。

かつては、俺もそのルールの中で生きていた一人であった。

 

小学校3年になった頃、クラスに転入生(A)がやってきた。

彼は、うちの学校よりちょっとワルい小学校からの、マセた感性をもたらした。加えて、爬虫類の分野に博学だった。動物好きだった俺は彼にイッパツで心酔し、彼と同じように博学になりたいと、毎日爬虫類図鑑をひらいて目を皿にし、親友になりたいと強く願った。

そんなある日のこと、昼休みの教室で、クロゴキブリが現れた。

ルールはルールである。クラスの誰もが、いつもは先生の言うことを聞かないいたずらっ子のKも、女子みんな、ルールの執行者たる担任も、もちろん俺も、そのルールにのっとって、

「ギャーゴキブリだー!!(泣)」

と叫び声をあげ、慌てふためいた。

そこへAが通りがった。阿鼻叫喚が飛び交う戦場のなかを、のそのそと人々をかき分け、ゴキブリの前に立った。

「なんてことないだろ、ただのゴキちゃんじゃないか」

素手でそっとすくい上げて、両手で包んだのち、教室の窓からそっとそのゴキブリを解放したのである。

 

・・・ゴキブリって、触れるんだな(悟り)

俺は、その日から、ゴキブリを素手で触れるようになったのだ。ほかにも何人か、触れるようになった奴がいた。

他の奴らはモーセの願いを退けたファラオの如く、イエス・キリストが現れた際のユダヤの律法学者の如く、心をかたくなにして騒ぎつづけた。

似た話だが、「女子が虫を怖がること」はこの世界のお決まりのひとつであることはいうまでもない。しかし、思い出してもみてくださいよ。幼稚園のとき、女の子も一緒にイモムシやダンゴムシを触っていたじゃあございませんか。

しかし、小学校高学年になったくらいから、女子で群れ始めるようになってから、突然触れなくなる。気持ち悪くて叫ばずにはいられない、それをみてしまったら男の子の腕にでもつかまりたくなっちゃう存在になる。

 

これは壮大なる社会教育である。

俺たち日本人が(北海道は違うようだが)、この世に生まれて初めてゴキブリをみるとき、多分母親が隣にいる。母親は「キモチワルッ」と叫ぶ。

女子が、女であることを自覚し、その集団に入っていったとき、先輩女たちは虫をみて「キモチワルッ」と叫ぶ。

この繰り返しで、我々はゴキブリを、虫をキモいと思っていくのだろう。

 

疑問がある。この壮大な社会教育に。

生きている苦しみが、なぜ苦しいか。不安は、なぜ不安なのかが、わからない。

なにも苦しくなくたっていいし、不安である必要などない。

アメーバかミジンコのように漂って、ヘラヘラしたまま死んでいったってなにも悪いことなんてない気がするのだが、苦しまなければ、不安にならなければ気が済まないかのように生きている自分の脳ミソが、わからない。

 

おそらく、この社会教育の連鎖によって、俺は自分の将来や日本の行く末を憂うることを知り、偏差値や社会的地位が低いことを嘆き苦しむことを教わった。

しかし、なんたって俺がそんなことを苦しまなければいかんのか。苦しみはなぜ苦しみなのか。

 

俺はひょっとして、取り逃したゴキブリが気持ち悪くて夜も寝られない女のように、人生を苦しんでいまいか。

あと一息で自由になれそうなどと思う。

 

 

輪廻転生

日々慎ましやかに(?)過ごしていると、なんの虫が騒ぐかは知らねども、「荒れてえな」という心の声をきくことしばしば。

さっそくなるべくヒマそうな友人に声をかけ、渋谷なり新宿なり繁華街にくりだす。麻雀だと「荒れる」とは言いがたい。

よって酒、ということになるのだが、クラブへ行くほどパリピでなし(座れないからすぐ疲れる)、バーなんぞにいく金もなし(そもそも荒れたいわけだし)ということで泣く泣く大衆居酒屋へ導かれる。

 

いやというほど酒を飲んでクソしょうもない話をして、ちょっと頭が痛くなるほどに酔うことになる。こうなってくるともう厭世観でなにもかもくだらなく虚しい(これが必要に迫られた義務酒ならなおさら)。

 

なにがうんざりするかといえば、居酒屋のネーミング。

悪酔で店を出たときにみる看板、またはその隣の看板をみてもうほんとにアホらしくなる。

 

まあ例えばだけれども、誰もがご存知の「○貴族」。なーにが”貴族”だ?と勝手にバカにされたような気分。

「俺たち○”貴族”でございっww乾杯!」といった自己欺瞞の風景が目に浮かぶようで、というよりもやはり

勝手に目に浮かべて、興醒めしている。

 

居酒屋ネーミングの困ったところは、謎の連帯感を押し付けてくるところ。というよりもやはり押し付けられたような被害者意識を勝手に持ってしまうところ。

 

貴族然り「〇〇民」「〇〇兄弟」などなど、隣でやはり酔っ払ってる連れの顔をみて

こいつと「〇〇兄弟」に来ているのかと思うともう気に食わないわけである。

 

酔っ払った下戸の被害妄想はまだ止まらない。

 

果ては創業社長の生活に思いを馳せる。脂ぎった創業社長が元気の良い檄を飛ばしながら、ふやけた手で次々とハイボールを量産する。

その創業社長の何某がどんなネーミングにしようかと考えあぐねて名付けた「〇〇民」で物流業界さながらの手際と扱いで量産されたハイボールをガブガブ飲んで、

「やっぱ飲まなきゃダメっしょ〜」

とか言ってたのか俺は・・・と思うともうダメ。あまりの虚しさに祇園精舎の鐘の声を聞いてしまうというもの。

 

もはやネーミングの問題ではない。こうなってしまった心境はあらゆる舞台の、舞台裏に煤けた大道具と這い回るネズミを見透かす僻み根性の塊である。

 

「じゃあ、またな」

と友人と別れてふらつく頭で、出家でもしようかなと思ったりする。電車に揺られながら

「うちへ帰ったら、聖書/法華経でも読もうかしら」

と、世俗からの脱却を切望する。

 

帰宅。机の灯りだけともして、アダムとイブがなんとかアブラハムがどうこうしたり、紅海が真っ二つに割れたりしているうちにウトウトしてきて、「ああ、俺は輝かずとも日々穏やかに慎ましく暮らしていこう」などとうつらうつら思いつつ眠りに落ちて、反省なき明日の陽がまた昇る。

こんな日は家族喧嘩と、希死念慮に御用心

またはじまった。いつもの、である。

実家に来た一人暮らしの姉と、父と母が食卓をかこんでいた。

父に求められて姉が近況報告。いとこの就活の話、姉の彼氏のおじいちゃんがいかつい話、笑ってすませても良かったのだ。

ところがこんな日はそうはいかない。娘の行末が心配だからこそ一つ一つに難癖がついて、その話が巡りめぐって「日本という国のどうしようもなさ」また、「人生の意味のなさ」を浮き彫りにしてしまう。

こうした家族の現象にはまり込むと、しばしば終わりなき地獄の様相を呈する。

横で聞いていていい加減クサクサしてきた俺がラインを開くと、実家に帰省している友人からのメッセージがあった。

「食卓で家族喧嘩が勃発した・・・」

 

不思議な偶然、と思わない方がいいかもしれない。

 

今日、東京で暮らす人はだいたいが死にたくなってる。どんよりした天気と低気圧によって。

俺は死にたくなったとき、天気と気圧をチェックするようことを心がけとしている。

そして今日は、死にたくなる日である。そしてそういう日に、無職の父は「死にたい」という。

どんより曇った空とどしゃ降りの外。なんとなく怠くて重い頭。こういう鬱憤によって引き起こされた僻み根性が、食卓に、目の前の家族に向かっていく。

天気と気圧の問題はほんとバカにならないんで、「今日はそういう日だ」と思ったら一切を諦めて、考えない動かないを貫いて、寝てしまうなど、生産することをやめてしまうのがいいと俺は思っている。

 

父のあの時の、あの言葉について。

祖母、言い換えて母の母親は、49歳で亡くなっている。癌である。

父は、その祖母のことを罵った。

俺の母はあまり料理が上手とはいえない。たまに味付けの加減をめちゃくちゃに間違える。

その時代の女性としては、親から家事修行を受けていなかった、ということらしい。

父が吐き捨てた。

くも膜下出血になって、治ったと思ったらすぐに癌で死ぬとは、お前(母)の親は無責任もいいとこだな。ろくに子育てもしないで。」

母も俺もいるリビングで、である。

ひでえもんだと思っていた。が、今日歩いていたら、ひとつの解釈が浮かんだので、説明を試みる。

 

実は父も、10年前に大病を患った。会社経営をしていた父は、競合会社に営業先を奪われていくのを病床で電話越しに聞き、赤字を恐れ、同時に養わなければいけない家族を抱えている事実に焦りながら、病による激痛に苛まれた。

それでも姉や俺の受験、一家の資産運用など、家族という荷を降ろせなかった。

父は会社を畳み、結局死なず、病は引いた。以後定職にはついていない。

「俺は家族のために地獄の苦しみを耐え抜いたというのに、妻の母親はなんて無責任な」ということか。

(俺も留年などしてる場合ではないのだが・・・)

 

10年来の友人がいる。高校2年のとき、彼の父は重度の糖尿病から2次的疾患を起こし、あっという間に亡くなった。社会的には、紛れもなく「不幸」である。

続きがある。彼の父には多額の保険金がかかっていた。それに加え、それなりの額の遺族年金が入った。

彼の母はそのお金のおかげで仕事をやめ、有閑マダムに。そして友人は真っ先に一等地の土地の権利と金融資産幾ばくかを手に入れた。

その父は、医者の言うことを聞かず、病院を出ると板チョコを3枚重ね食いし、風呂では架空の上司との会話を繰り広げ、いつまで経っても昇任試験を受けないヒラだったという。

現状はいいんだか悪いんだか、と思った。

15:00、意志薄弱の俺が煙草やめて72時間が経過した。

この記事から、いよいよタバコをやめて3週間!弱経ったところでまた吸ってしまい、

2週間吸い続けたところでまたやめ初めて3日が経ったので中間報告。

shishidoda.hateblo.jp

9/9 15:00 、タバコをやめて丸3日、ということでひとつの山(身体依存=体内からニコチンが抜け切るまでの期間)をこえた。

はじめの3日間、というのは、いちばんしんどい期間あるいは意志の弱い人が挫折する期間などと保健の世界では言われてる。らしい。

 

3日辞めるとどうなるか。

僕の体験でいうと、今はひとりで過ごしていればそんなに喫煙欲求が湧いてこないという感じだ。一緒にいる人がタバコ吸い始めるとまだまだきついという感じ。

 

なんといっても、脳はさておき、身体の軽さ、寝起きの良さは確実に自覚できるところだ。

吸ってるのが当たり前だと気付かないもんだけど、喫煙者の朝ってのは、身体にツタが絡まってるみたいに重たい感じがする。

まだまだ離脱症状がないわけではないのだが、今は以下を基本方針にして、まずは1週間、そして前回越えられなかった3週間を目指す

タバコ習慣は明白な依存である。依存は意志力のみで抜けられるものではないから、外来の人にも頼りまくる。自分の意志だけでやめようとしない。

禁煙は、周囲の介助とテクニックと心得る。

・褒めてくれる人を見つける。いや、褒めてくれよ誰か。

・想定される吸いたくなるシーン、吸うシーンを書き出し、水を飲むガム噛むなどの代償行為を用意しておく

・飲み会なるべく行かない

・前回、想定外の喫煙欲求に負けた。人は想定外の誘惑には負けやすい

「吸いてえ!」と思った時に、このシーンが想定内か、想定外か、まずふり分ける

そして、「まぁまぁ、これは想定内」「コイツは想定外!」等独り言を言ってやり過ごす。

→これをやるだけでも、かなり気持ちがおさまってくることがわかった。

 

・やめてすぐの頃は、きょう1日とりあえず吸わない、でいいことにする。

 

もっとやめられたら、あらためてまとまった内容の記事を書こうと思います。

また、経験者の方コツなどありましたらコメントください。

 

タバコだの煙だの、書きすぎて吸いたくなってきたな。。。

何度も夢に出てくる人々がいるんだよね。

他人からされる夢の話ほどつまらんものはないという、その、夢の話をします。

つまらん話が好きな者、人生が面白すぎてそろそろつまらん展開を求むという者、汝この記事を最後まで読んで退屈せよ。

実は俺、2年前からコツコツ、ダラダラと夢日記をつけている。

いっときは真剣に何行も、克明に記録していたのだが、どうもそれが精神衛生に良くないと感じた。今は、目覚めたあとも余韻が残りつづけるものだけ書くことにしている。

夢、夜寝てるときみるワケが分からなくて怖くて美しいそれは、古代より現代まで、様々な解釈がされている。

神からの預言など超自然解釈から占いの対象となり、またユング派心理学では深層心理を理解する手がかりとして用いられる。

難しい話をしたいんじゃない。今日、俺は夢についてなにも発見しない。つまらん話をしたいだけなのだ。

難しく分析しようとしなくても、心に残る夢ありますよね。その日1日、深い余韻が残るような。

俺の場合、そういう夢は決まってエロい。昼間の人生の、後悔と切なさを背負ってエロい夢なのだ。

好きな女の人がいた。いつもメールでやりとりしていた人だ。だが、愛ゆえに、、シャイゆえに、、リアルでは少しも話せず、学校ですれ違うたびに胸が張り裂けそうになりながら関心がないふりをしたものだ。

いろいろな幸運で、お付き合いできることになった。もちろん、メールで成立した。

しかし、あまりに意気地なしだった俺は1日で、自らキャンセルしてしまう。

俺はその後も、好きだったと思う。メールのやりとりは続いたが、そのうち、その人に彼氏ができた。

さてその人が、ここ2年で夢によく出てきてしまうのだ。自由意志じゃないからね。

その人をAとする。以下が夢。

2020/01/09

【Aに会う、Aと付き合うことになった。心底嬉しいのだが、どうすればいいのかまたしてもわからない。

一緒に遊園地に入る。矢沢永吉がバラードを歌っている。(俺はけっこう矢沢永吉が好き)】

2021/09/21

【海に岬が伸びている。俺はそこに立っている。足下の海で、Aが泳いでいた。】

・・・夢なんだよなー

当人には、勝手に夢に登場させて迷惑極まりないと思うのだが、自由意志ではないので勘弁を。すいません、これだけじゃないです。割愛しますが。

あの頃の意気地なしな俺は、本質的にも、表面的にも、あまり変わってない。だからこそ、後悔として訴えてくるものがある。

 

実はもっとよく見る女性の夢がある。

大学時代、少しお付き合いした人の夢だ。その人とは、まああまり関係が上手くいってなかったし、別れ方は気持ちのいいものではなかった。

俺はその後、随分と幼稚で卑劣な立ち回りを演じた。

その人は、Bとする。

 

2021/03/09

【老人とバーに入る。

中では、先にBが1人で飲んでいた。

「別れに乾杯」

Bがそう言い、俺も一緒に杯を傾ける。

突如、老人が嘔吐し、倒れる。心肺停止だった。】

以後、いくつも夢をみている。Bに新しい彼氏がいるのを見かける夢だったり、丸々太ったBに驚く夢だったり様々だ。

↓そして最近

2022/08/21

【大学のエレベーター内。

綺麗な女性と目があった。俺が尋ねる。

「誰だっけ」

「Bだよ」

随分印象が変わっていた。これなら仲良くなれそうだと思った。】

・・・これまた勝手に夢などみて迷惑な話なのだが、勝手に見てしまったものは仕方がない。

これも綺麗に別れられなかったこと、あとになって悪口を言いまくったことなどの後悔が絡んでいそうである。

 

女性の皆さん、別れた男が何年も夢にみてると考えるとどうでしょう。悪寒が走ったではないでしょうか。

すいません。でもみちゃうんです。

拝啓 ブリジット・バルドー

あなた様がビキニで海面を漂う御姿を、夢枕にて拝見しました。

 

さて、昼間の現実を生きますか...