オクラ・ししとう

夜中に考えるああでもないこうでもないを貴方に❤️

輪廻転生

日々慎ましやかに(?)過ごしていると、なんの虫が騒ぐかは知らねども、「荒れてえな」という心の声をきくことしばしば。

さっそくなるべくヒマそうな友人に声をかけ、渋谷なり新宿なり繁華街にくりだす。麻雀だと「荒れる」とは言いがたい。

よって酒、ということになるのだが、クラブへ行くほどパリピでなし(座れないからすぐ疲れる)、バーなんぞにいく金もなし(そもそも荒れたいわけだし)ということで泣く泣く大衆居酒屋へ導かれる。

 

いやというほど酒を飲んでクソしょうもない話をして、ちょっと頭が痛くなるほどに酔うことになる。こうなってくるともう厭世観でなにもかもくだらなく虚しい(これが必要に迫られた義務酒ならなおさら)。

 

なにがうんざりするかといえば、居酒屋のネーミング。

悪酔で店を出たときにみる看板、またはその隣の看板をみてもうほんとにアホらしくなる。

 

まあ例えばだけれども、誰もがご存知の「○貴族」。なーにが”貴族”だ?と勝手にバカにされたような気分。

「俺たち○”貴族”でございっww乾杯!」といった自己欺瞞の風景が目に浮かぶようで、というよりもやはり

勝手に目に浮かべて、興醒めしている。

 

居酒屋ネーミングの困ったところは、謎の連帯感を押し付けてくるところ。というよりもやはり押し付けられたような被害者意識を勝手に持ってしまうところ。

 

貴族然り「〇〇民」「〇〇兄弟」などなど、隣でやはり酔っ払ってる連れの顔をみて

こいつと「〇〇兄弟」に来ているのかと思うともう気に食わないわけである。

 

酔っ払った下戸の被害妄想はまだ止まらない。

 

果ては創業社長の生活に思いを馳せる。脂ぎった創業社長が元気の良い檄を飛ばしながら、ふやけた手で次々とハイボールを量産する。

その創業社長の何某がどんなネーミングにしようかと考えあぐねて名付けた「〇〇民」で物流業界さながらの手際と扱いで量産されたハイボールをガブガブ飲んで、

「やっぱ飲まなきゃダメっしょ〜」

とか言ってたのか俺は・・・と思うともうダメ。あまりの虚しさに祇園精舎の鐘の声を聞いてしまうというもの。

 

もはやネーミングの問題ではない。こうなってしまった心境はあらゆる舞台の、舞台裏に煤けた大道具と這い回るネズミを見透かす僻み根性の塊である。

 

「じゃあ、またな」

と友人と別れてふらつく頭で、出家でもしようかなと思ったりする。電車に揺られながら

「うちへ帰ったら、聖書/法華経でも読もうかしら」

と、世俗からの脱却を切望する。

 

帰宅。机の灯りだけともして、アダムとイブがなんとかアブラハムがどうこうしたり、紅海が真っ二つに割れたりしているうちにウトウトしてきて、「ああ、俺は輝かずとも日々穏やかに慎ましく暮らしていこう」などとうつらうつら思いつつ眠りに落ちて、反省なき明日の陽がまた昇る。