こんな日は家族喧嘩と、希死念慮に御用心
またはじまった。いつもの、である。
実家に来た一人暮らしの姉と、父と母が食卓をかこんでいた。
父に求められて姉が近況報告。いとこの就活の話、姉の彼氏のおじいちゃんがいかつい話、笑ってすませても良かったのだ。
ところがこんな日はそうはいかない。娘の行末が心配だからこそ一つ一つに難癖がついて、その話が巡りめぐって「日本という国のどうしようもなさ」また、「人生の意味のなさ」を浮き彫りにしてしまう。
こうした家族の現象にはまり込むと、しばしば終わりなき地獄の様相を呈する。
横で聞いていていい加減クサクサしてきた俺がラインを開くと、実家に帰省している友人からのメッセージがあった。
「食卓で家族喧嘩が勃発した・・・」
不思議な偶然、と思わない方がいいかもしれない。
今日、東京で暮らす人はだいたいが死にたくなってる。どんよりした天気と低気圧によって。
俺は死にたくなったとき、天気と気圧をチェックするようことを心がけとしている。
そして今日は、死にたくなる日である。そしてそういう日に、無職の父は「死にたい」という。
どんより曇った空とどしゃ降りの外。なんとなく怠くて重い頭。こういう鬱憤によって引き起こされた僻み根性が、食卓に、目の前の家族に向かっていく。
天気と気圧の問題はほんとバカにならないんで、「今日はそういう日だ」と思ったら一切を諦めて、考えない動かないを貫いて、寝てしまうなど、生産することをやめてしまうのがいいと俺は思っている。