最後の悪あがき
もうこんな時期だけど、最後まであがいて、就活を続けてみようと思う。
今日、面接に行ってきた。
というのも、いろいろあってここ最近になってようやく鬱が軽くなり、エネルギーの底が上がってきた背景がある。
留年、就活、挫折、いろいろな状況を鑑みて、俺はどうも今、優秀な人間ではない(=顕在的無能)ようだ。
優秀でないならないなりに、泥臭い悪あがきを続ける姿勢をとることが、何か(=?)に対する道義のような気がして、とにかく動きだした次第だ。
面接の結果は、、、おそらくだめだったと思う。
数カ月前までの面接ラッシュで慣れていただろうという慢心、先延ばし癖が災いして、またも直前でドタバタして、準備不足の感は否めない。
面接担当の方の親切で丁寧な質問にもパニクってしどろもどろになってしまった。
前に進んでるのか、学んでいるのかわからない自分に嫌になりそうながら、ビルを出た。
いろいろあって金もない。帰りの電車賃がないので、江東区某所から10キロ離れた自宅まで歩いて向かっていく。
隅田川によく似た別の川の沿いで一休みした。
ちょうど日が沈みはじめるころだった。
夕焼け前の黄金色の空と、まだ夏な感じの厚い雲がその川にぼやけて映っている。そよ風が無数の小さな波を水面にたてて、そこを観光船が通ってゆく。
綺麗だ、と思った。
綺麗だと、思ったということは、俺はまだ大丈夫だ。
俺が持たないものなど無数にある。
しかし、持つものを数えてみれば、そのすべてにも俺自身が把握していないことに気がつく。
愚痴をこぼせば、またいつでも聞くと言ってくれ、銭湯に飲み屋に付き合ってくれる友人。
とにかく構ってはくれる家族。
綺麗な空をみることができる目。綺麗な景色の中を歩ける足。
羨ましがられないが、親は喜ばないが、とにかくある次の働き口。
俺は大丈夫だ、まだ終わってない。
死にたいと叫べば、心の友は寄ってくる。
もうだめだと叫べば、就活エージェントや同期が群がってくる。その言葉は玉石混交だが、俺にはそれを判断する頭くらいはまずある。
街で倒れれば、通行人は水を差し出し、救急車くらいは呼んでくれる。
なんといっても、これから買うかもしれない宝くじが当たりかねない。
最後の夏休み、長野へキャンプにいった思い出を書くことで味わい直す。
[:目次]
①はじめに状況を・・・思い入れと現状。
②あとは思いつくままに・・・感じたことを青臭く書く。
③自分に対する励まし
[:目的]
人生における少ない美点たるいい記憶を微に入り細にわたって洗いおこし強固な記憶にする。
[:本文]
①はじめに状況を
大学5年生(留年)、学生最後の夏休みに、長野へキャンプ(いやグランピング)へ行った。メンバーは地元の同じ中学の男3人と女5人。
今回の旅行の前提におかなければいけない思い出がある。
2年前、つまり大学3年生の夏休みに同じメンバーで長野キャンプへ出かけている。メンバーの一人と、キャンプにでも行きたいねと話をして、参加者を募ったらあれよあれよと8人手があがり、しかもちょうどよく日程が合って実現した。
人間は21歳のとき、いちど人生のピークを感じるというが、まさしく人生の頂点を極めた数日間だった。
中学卒業以来会っていなかったメンバーもいる中で長野へ出かけ、キャンプ場の夜はものすごい星空と流れ星に胸を躍らせ、人目も憚らずキャンプ場で大音量で音楽を流し熱唱。
テントの隣で深夜まで人狼をやったときは、どことなく中学時代の修学旅行を思わせるような感傷の気分が起こった。
まあそんなこんなで、おのれの若い生命をこの上もなく解放したとても楽しい記憶だった。
夏休みは終わり、秋が来て冬が来て、2021年、就活が始まった。
コロナで大学仲間との関係が遮断されていたこと、大学に行ってなかったこともあるが主におれが馬鹿だったので、就活についてほとんど真剣に考えてなくて、3月に始めた就活でボロボロになった。
そして結局留年もした。
この8月まであれから2年経ったわけである。メンバーそれぞれにも就活やらなにやらがあったりで、以後メンバー集合することはなかった。
8人で集まってキャンプだなんぞ、もうあれが最後だったろうな、もう無理だろうなと諦めた矢先、なんとまた実現した。
まる1年以上の就活状態でボロボロで、しかも特に夏予定のなかった俺はこれだけのために日雇いバイトで金を貯めていた。
②あとは思いつくままに・・・
2年ぶりに集合し、でかい乗用車で長野へ向かった。メンバーの近況はいろいろだった。今社会人一年目の者や、ワーホリ、留学を控えた者など。
8人集まって、ほとんど他愛のない話題でそれぞれの将来に突っこんだ者がいなかったのは、多分気のせいではない。
キャンプ場で、火をおこしているとき、揺れる火をかこんで見つめているとき、最高だと思った。
ふと思い立って、少し離れたところから7人を見つめた。揺れる日の周りに、7人がワイワイ楽しんでる。
就職活動や留年など、いろいろな失敗を通して、さすがに自分のことをいろいろ考え巡らせている。
今はたしかに俺はすごく若いといえる。しかし、大学という時代は終わり、これから若くない年齢と経歴に向かって進んでいく。
それはこの7人にとっても同じこと。こういう仲間で、こういう感情になれるのもいつまでなのか。
俺は歳をとってもこんなふうに楽しい時間を持てるか。
そういう気持ちで彼らを眺めていたら切ない気持ちになって、それから家に帰りたくなさすぎて、一人で暗い喫煙所まで行って泣いた(多分情緒不安定に陥ってる)。
貸し切りサウナに入った。
サウナの中でみんなで「思考ゲームをしながら耐久」し、限界まで耐えてからこれまた貸し切り水風呂に飛び込んで、リクライニングチェアに横になる。
心臓の鼓動を目一杯に感じる。見上げた星空がグラグラとまわって見える。遠くなった耳がぼんやりとコオロギの鳴き声に満たされていく。
サウナをわりとしっかり愛好しているが、今回が人生で最も整った(キマった)サウナだった。
宇宙と自分たちしかないような恍惚感のまま漂うように椅子にしばらく横になった。
「宇宙と自分たちしかないような恍惚感」←そうこれ。これはもう今後の人生に失われていく感覚なんだろうな、と思いながらテントに入って眠りについた。
中学は捻くれていて、高校は男子校で、大学でもまあ捻くれていたのであまり青春を解放できていなかったのだが、まさしく青春の只中というか最後の残り香みたいな自覚とともに、感傷に浸り散らかした長野旅行であった。。。
③最後に、自分を励ます。
どセンチメンタルな文章になってしまいました。
あの長野キャンプ以降の2年間はしんどかった。追い詰られてどん底の気分だった。
が、まさかその後にまたこういう思い出ができるなんて諦めてたと思う。でもいろいろ都合が重なって実現したワケよ。
今後の人生もまたしかり。君は今後の人生が「40年地獄の会社員生活」などと知ったようなつもりで想像しているかもしれないが、人生は君のような若造に見通せるほど単純にできてはいないんだぞ???
予想もできなかった展開が多分待ってて、新たな美しい記憶を更新すると思って生き続けたまえ、さあ!
今日のヤバい徒然草
8月最後の日。
大学はなく、わけのわからぬまま日雇いで働いては銭湯とbarで消費して、気付いたらまたゼロになった8月。本当に俺はなにをしている(!)
今日の天気はやや久々に晴れ。この頃ただよっていた秋の気配が今日になってまた夏に一転。
こういう転変をもう少し繰り返しながら雨期がきて、本当に夏が終わるんだろう。季節が変わる間おれは日雇いをして、いっときの酒とキャンプを楽しんだ。
実家暮らしだからなんとかなるものの本当に一文無し。
机に向かいながら明日の日銭のあてをどうにかみつけた。留年までしてこんなことではいけない。こんな姿勢では将来どうなる。
自分のヤバさを静かに味わっているうちに窓の外も暗くなった。よくわからない焦りと窮屈さで心臓の鼓動が速くなる。
俺はどこから来てどこにいくのか。自己戯画みたいな文章を書いてる場合でもなし。でもいくところなし、することなし。
22年間感じたことのない妙な寂しさが胸に詰まるような感じがある。
【懺悔】中学校時代の反省・先生に謝りたいこと
やっぱりうまくまとまらないので、また箇条書きにさせてもらう。
・中学2年の夜、好きな女の子に口が滑って告白してしまった(メールで)。何往復か迷った挙句、帰ってきた答えは「本気ならいいよ」だった。そんなわけで晴れてリア充。これからよろしくね、おやすみとメールを送り終え、当時入院していた俺は舞い上がって慈恵病院の窓の景色を見る。
しばらく考えてみると、付き合うとは何をすればいいのかわからない。なんで付き合ってるのにデートしないんだろうね、と以前その子と話したことは棚にあげた。デートをしなければならないのか、デートとは、学校の外で、会わなければならないのか。考えると気が重くなった。しんどくなった。俺には彼氏はムリだと思った。
次の日、その子に「昨日の告白の件なんだけど、あれキャンセルでよろしく」と送信した。
・合唱コンクール、クラスメイト皆で毎日朝練をやることに決めて、金賞に向けて頑張っていた。いじけ、ひねくれていた俺は意地を張って一度も朝練には参加しなかったし、授業内練習でもまともな姿勢で臨まなかった(ホームベースのわきで反抗的姿勢をとり続けていたが、授業中の中学生にできることなど何もなく、滑稽)。
白状しよう。合唱曲の山場のところを、リハーサルまた本番で聞いたときは、正直鳥肌がたつほど感動していた。
合唱コンクール本番、惜しくも金賞を逃した我がクラスのみんなは涙を流しながら、でも悔いはないよく頑張ったと喜び合っていた。
俺はそれを見て、胸になにかがこみ上げていたのだが、冷たい僻み根性でそれを抑し、彼らを嘲笑し、馬鹿どもの戯れだと言って見せた。そうした態度で自分を保っていたが、お互いに熱いものが通っているクラスメイトたちの横で一人片意地張っている自分は滑稽であり、また当時確かに「寂しい」と感じていたことは今、認めよう。
・卒業式にも絶対に行きたくない、と思っていた。
この晴れ舞台に行かない、という選択をとってみせて、有終の美を飾ろうとする先生クラスメイト諸君をしらけさせることで、怒りをぶつけようとしていた。
とにかくムカついており、そしてそれをどう表現すればいいのかわからなかったのだ。
両親に引き止められ、衝突した挙句、渋々行く羽目になった。当時の気持ちを細かく思い出すと、やはり引き止めて欲しかっただろうし、実際行かなかったら本当に惨めだったろう。
・卒業式の数日前、学校の授業のなかで、両親への感謝の手紙を書く、という取り組みがあった。何を書いたか忘れたが、一応真面目に書いた覚えがある。書いたものは皆、先生に提出した。両親に渡すべき日に、俺は学校を休んだ。
卒業式後、我が家の郵便受けにその手紙が入っていた。担任の先生の手書きのメッセージが同封されていた。
「授業日にお渡しできませんでしたが、〇〇(俺の名前)くんが、一生懸命書いたものですので、読んであげてください!」みたいなメッセージだったと思う。両親に宛てたものだった。
そのときの感情は自分でもしっかりと把握できなかった。ともかく「クソが」と思ってその手紙を一緒にくしゃくしゃにして、近所のゴミ箱に捨てた。
・中学校の内申書はかなりひどい。9教科で25だった。テストでは高得点をとっていたのに、である。納得のいっていない父が、学校に飛び込み、問合せしようと支度をはじめていた。
そうなれば、今までの俺の散々な授業態度、反抗的なふるまい、家庭連絡に及んでいなかった問題行動等々すベてバレてしまうことになる。それは困ると、焦った。
そこで俺がどうしたか。
副担任でよく話相手になってくださる国語の先生がいた。俺の腕のアザに真っ先に気付いたのもその先生だったし、授業中に『竜馬がゆく』を読んでいた俺を叱りつつも、「次は『坂の上の雲』をよむといい」などと、懐のふかい一面があった。
その先生が俺に言った些末なひとことを取り上げ、どうにかこうにか、その先生に罪をかぶせた。どのような流れだったか、記憶が詳らかでないが、ともかくそれは父が学校に乗り込まない理由になった。
その代わり、父は電話越しで、その先生への不信感と怒りを教頭先生にぶつけて、電話をぶっちぎった。本人に伝わらなかったはずはなかろう。
次の日は、学年でのプラネタリウム見学会だった。施設の入り口へ行くと、たまたまその先生がいた。「〇〇、お前元気か」ニヤリと、その先生が俺に言った。俺は、苦い顔をしてから特になにか返事をするでもなく立ち去った。
・「教師なんてクソみたいな職業だ。社会に出たこともないくせに、ろくな大学もでてねえのに俺たちに何が教えられるんだ。教員には、教員にだけはなりたくねえな。」と、先生に聞こえるように、よく教室で叫んでいた。
今になってみると、辛いときなどに中学校の生活を思い出すし、通知表に一行だけあった褒め言葉などもふと頭をよぎる。
・まとめると↓
中学校の頃は、父の大病がまだピークを終えていなかったのに加え、成績評価ではまともな成績が得られず、父は途中から俺の通知表を見ることを拒否するようになった。
学校と家庭両方でいい感じでなく、抜毛症により頭のテッペンがハゲ上がったりしていた。
学校の成績評価システムや教育システムは確かに完全ではなく、俺が息ぐるしくなった一因ではある。
しかし、そのことで学校関係者全員を憎み、小馬鹿にし、意地を張る姿勢をとり、尚且つ最近までその気持ちが拭えなかったことは明白に間違いであり、自分で受け止めきれずにきてしまったのは俺の「弱さ」だといえる。
そうした弱い精神的態度を改められなかった俺は、高校に進んでからも、まあまあつまづき、親と激突したり、退学騒ぎを起こしたりする。大学5年の今もいろいろうまくいっておらず、内省している現状である。
先生方がお元気なら、もう一度お会いして、今までの非礼を詫びたり、近況を聞いたりしたいなどと、今さら思ってしまう自分がいる。
煙草(やめたい!)メモ 〜禁煙への助走のための記録〜
・お金がないのにタバコだけは吸ってしまう、日日の固定費。そのくせ、初めて吸った頃のような素晴らしい効果をこの頃ほとんど感じない。ただ習性にて吸うだけ。
・突然、前触れなくやってくる心の声「タバコやめてえ」
・脳内に住うニコチンのプロパガンダか、俺はそれでもタバコに一抹のロマンを感じている。22歳にもなるのに、今だにタバコを吸うときは荒野のガンマンか、場末のバーの疲れた男にでもなったつもりでいることは否定できない。
「タバコを吸わない人生なんて」「タバコ程度の悪が人間には必要なのだ。やめたら真面目人間になりすぎる」これは悪魔の声なのか。自分じゃわからない。
・今の銘柄はHOPE。なぜかと聞かれれば「やめたい、捨てよう!と思ったときに残りが10本以下なので未練なく捨てられるから」と答える習いにしている。みっともないな...
・初めて吸ったのは17歳。高校生活につまづいて悩んでいた頃にニコチンの鎮静効果の記事を読んだ。そのままコンビニで恐る恐る買いに行った。パッと目についたBOHEMミニを買った。
夜の公園に行った。ヤンキー高校でもなかったので、同級生は誰も吸ってない。人目を忍んで内心ビクビクしながらこっそり吸った。いがらっぽかった。「むせる」というのはこのことか、と思ったが、気持ちは確かに落ち着いた気がした。身体が「シーン」とした気がした。
・それからじわじわ吸うようになった。図々しくなってきて地元の友達にも伝授した。両切りピースを思い切り吸って、肺に入れてから息を止めると、クラクラしてくる。それを何度も楽しんだ。
やがて、葉巻でもそれをやってみた。目の前が真っ暗になり、重力が3倍くらいになったみたいに身体が地面に吸われていった。倒れて、動けなくなった。動けないのに意識はあるのが不思議で楽しい。相変わらず身体の「シーン」は得られた。
・歌舞伎町、中野ブロードウェイあたりの裏路地、渋谷センター街をくわえタバコで歩くだけで、大きく枠からはみ出た無頼になれた気がした。
・大学に入ると、吸ってる人も珍しくなくなった。急にスリルがなくなってつまらなかった。
・それでも、飲み会の合間に、初めて飲む相手とタバコを吸うと、今でも嬉しく、格段に美味しい。
・タバコのひとときピックアップ
①ちょい昭和な喫茶店で、昭和で濃厚な思想書(ミシェル・フーコーみたいな。読まんけど)を開いて煙燻らすタバコ。
②雀荘で牌を並べながら吸うタバコ。
③ちょっと田舎なゴルフ場の休憩所で吸うタバコ(なぜ美味いのか)
④冬、襟を立てて肩を縮こませながら吸うタバコ(殺し屋みたいでカッコいいじゃないか)
⑤風俗の待ち時間のタバコ
⑥久しぶりに気前よく飲んだ!あとの夜の街をよろめき歩くタバコ、または、カールズバー、キャバクラ等で、気持ちよく飲まされながらカッコつけて吸うタバコ(カッコよくないことは理性でしかわかってない)
・大学では、好きな女の子ができた。初めての夏合宿、18歳の俺は山中湖を前に例の如く粋がってタバコを吸っていた(ああ、、ダサすぎる!)。
その子に言われた「〇〇くん、タバコ吸ってる限り一生彼女なんてできないね。」やめようと思った。
やめてからちょうど半年になる頃、その子と4度目のデートにこぎつけていた。なかなか肝心な言葉がいえなかったが、最後の最後、改札を通って帰ろうとする彼女を引き止めて告白した。彼女の答えはYES。解散した後、浮き浮きの興奮冷めやらぬまま公園をふらついた。
悪魔(多分そう言っていいだろう)が俺に囁いたのはその時。
「今タバコ吸ったら美味いだろうねえ。。。」身体は自然とコンビニへ向かい、買ったタバコに火をつけた。
・吸った途端、あの何とも言えない「シーン」とした静寂が身体を満たした。視界が突如クリアになり、輪郭がくっきりとした。「美味えー〜ー!」
その子と別れてもう長いが、今までしっかりタバコをやめた時期はない。
・恋人に誕生日祝いの次の日にフラれていじけながらも行った現場仕事の昼休み。50代くらいのオッチャンと公園で弁当を食った。「あそこはな、芯から組織が腐ってるよ」顔を歪めて吐き捨てるオッチャンはその数ヶ月前、警察官をやめたのだった。お互いにタバコを4本続けて吸った。
・結局、センチメンタルな「タバコ賛美歌」に仕立て上げてしまった自分につくづく呆れる。同時に、これは確固とした、ニコチン依存症であり、ニコチンが賛美歌を唄っているのだということがおぼろげながらわかってきた。
・高校2年のあの頃、「俺をハブって楽しんでるアイツもタバコ怖くて吸えないんだろうな」と悦に浸って乗り越えられたこと。その自己拡大感覚に多少救われたところはあったかもしれない。
しかし、俺はもう大人になりたいのだ。矛盾するようだが、タバコと、そしてそれに付随する自己拡大感とおさらばすることで大人になれる気がするのだ。
・タバコやめられた人のコメントが欲しい。意志が弱いから。
最近の汚れた徒然草
・大手に内定をもらってる(同じく留年した)同期が、キャンパスのベンチで昼寝してる俺を起こしてきた。
「就活もうやめちまえば?」それをお前に言われたくねえんだよ。家に帰ってインスタを開いたら、勝手に寝てる俺をストーリーにアップしていた。
・「結局就活はどうすんの?」「公務員は受けるの?」「留年したのに?」うるせえ。今就活のことを考えるだけでゲロが出そうだ。胸の糸のもつれが酷くて、就活のことを考えたらぐちゃぐちゃになる。お前らにそのもつれのことまで丁寧に説明すればいいのか?
・留年し、就活も意のままにならなかった。確かに俺は失敗した。だから土下座もした。お前が土下座を命令して、実際に土下座をしたその人間を、お前はさらに罵倒した。しかし、一生懸命就活してないにせよ、一生懸命「生きた」結果ではある。それに対して、土下座を命じて、その下げた頭を侮辱したな。
・このままでは人生終われない。学生生活も終われない。終わりたくないけど、どうすればいいのか。とりあえず金もないから日雇いに出ている。早く振り込んでくれ。
・「派遣さん!」などと呼ばれている。安くないモラトリアムの時間の時間を結局1時間1000円ちょっとで売り飛ばしている。
・貧困妄想がひどい時がある。無感情に単位を取るために学校へ行き、人間関係も定着しない派遣で生活費を得ようとしている。とにかく虚しくて寂しい。
・今日も一人でバイトに出掛けた。終わってからタバコを吸った。街には人がいた。みんな楽しそうに連れ立って歩いているけど、彼らもつまらないのだろうか。
・いっぺん女性に、ちゃんと愛されてみたい。今日派遣先にいた綺麗な女性スタッフみたいな人に、俺が愛される可能性はあるのだろうか。
・深夜、ふとそばで寝ている妻と子供を見て、「これって幸せなことだな」などと思ったりするような幸福感は、俺にも来るだろうか。
・何か楽しいことでも作った方がいいのか。「エデンの東」を見た。
・とてつもなく寂しい。おいていかれたくない。結局は人は孤独なのかもしれない。でも、暖かく迎えてくれる繋がりがなくなってしまうかもと考えると、寂しくてたまらない。
・俺は何において優れているのか、目覚ましい能力を発揮するのか。それとも、何もないのか。
・夕方は哀しい。壁にもたれかかっていると、胸が冷たくなってくる。
・どうするのか、このまま訳がわからないままなのか。
それぞれの地獄
最近よく、お友達の就活生や一足先に社会に出ている新卒同期と話す悲観的なトピックがある。
「苦しい人生で、夢物語を信じたり、ひととき気の許せる仲間と会ったり、たまに気持ちい良い日に散歩する時間で休み休み人生の苦しみをごまかしてる。←これって結局現実逃避なんだよね。」というものだ。
たしかにわからなくはない。
僕はまだ社会に出て働き出してもいないような青二才なのですが、就活で絶望してみたり、一応良い大学入ってみても終わらないレースじゃないか、とガッカリしてみたりすることはそこそこ実感する。良いニュースもないし。
そうすると、今まさに、余計に人生が苦しみの螺旋の如く感じられて、うっかり上記の人生論を呑み込むところだった。
ただ、金と責任感を軸にした苦しみと、気持ちいい時間、どっちも現実なんじゃないのか。
けだし、人間各々、イマジネーションによって自分自身の天国と地獄を創り出している。
ただこれらは大体において曖昧なことが多く、天国でいうと、僕もなんとなく、文京区でニコニコとコーヒー飲んでるお爺さんとか、小洒落た住宅街の夕方とか、そういうイメージを夢想している。
地獄像は、例えば索漠感のある街でパチンコしか喜びがない、とか、たまにドキュメンタリー化してるシングルマザーの貧困家庭、のような「パチンコ」「アル中」「生活保護」要素的な何かである。
これらの地獄像を自分がいつの間に育ててきたのかははっきりしないが、多分、学校教育や家庭環境、自分の行動と思考の選択の積み重ねで、自己肯定の気負いと裏表に作ってきたものだろうと思う。
つまり、地獄像が、自己肯定に裏付けられているから厄介なのである。小学校や中学校時代、アホ面こいて遊んでいた連中の行く末を「地獄」と認定した過去がどこかであったはずである。
「俺はコイツらと違って、努力して勝ち組な人生を生きていくぜ」と努力した自負とともに、似たような努力家集団のコミュニティへステップを重ねていくもの、気づけばいつの間にか自分が育ててきた地獄像に追われて泣きながら走っている。
どこかでスパイラルの転換が起きれば良いのだが、それが起きぬまま地獄じゃない生活の維持のために必死に走っている人生に近しくなるってこともあるだろうな、と思う。
その地獄が、本当に地獄なのか、いま一度自分でも確かめてみたいと思っている。あと逃げる人生・こなす人生はもうやめたいね。
加えて、気になる。
世の中の「まっとうな道」を着実に歩んでいる大人たちが、「俺は今こうやって幸せなんだ」と世の中に対して叫んでいるのを僕は聞いたことがない。
「ちゃんと勉強しないと後々困るよ」と言っていた学校の先生たちは、それに付け足して「現に勉強した私たちはいま幸せだ」とまでは確か言わなかった。
苦しい時間・苦しみを忘れてる時間のどちらも現実だと思う。自分軸が「苦しみから逃げる」ことあるのか、「楽しみを追う」ことにあるのかで「現実逃避」の位置づけも変わるんじゃないか。そう信じたい。